夏!と、言えば…青い海?セミの声?背筋も凍る、怪談か!
と言う訳で、今回初公開の一幅の幽霊画を展示しております。
「幽霊画」と言われると、どういうものを想像されますか?
おぼろげで、恨みの形相で、おどろおどろしい…感じでしょうか。
私も最初はそういうものばかり創造していたのですが、今回展示しているのは、美しい幽霊画です。
久保田 金僊(くぼた きんせん)筆、「地獄太夫之圖」
室町時代、泉州堺の遊郭いた「地獄」を名乗る遊女が居ました。
彼女は武家の生まれでしたが、少女時代に山中で賊に攫われ、その美貌の為に遊郭へと売られてしまいました。
遊女として育っていった彼女は、この不幸は全て前世での行いの報いであると考え、この世は所詮地獄よ、という意味を込めて「地獄太夫」と名乗ったのだとか。
彼女はその美貌だけではなく、和歌も上手く、地獄変相図の衣を愛用するという変わった出で立ちで、非常に人気のある遊女でした。
そして、彼女の噂を聞きつけて、やってきたのは一休さんで有名な一休宗純。その美しさに「聞きしより見て美しき地獄かな」と歎賞すると、太夫が「生き来る人の落ちざらめやも」と見事に返した事から意気投合し、2人は師弟関係を結びました。
その後、一休の教えにより地獄太夫は地獄も極楽も一如であると悟ったそうです
この地獄太夫、様々なエピソードもあいまって多くの画家の題材となっています。
特に明治期以降は、地獄太夫と同じ趣向で「幻太夫」と名乗る遊女がおり、彼女の風貌も混同させて、地獄・極楽なんでもござれ、派手で艶やかな絵が多く描かれました。
久保田金僊は父・兄とも画家の一家ですが、父・米僊もまた地獄太夫の絵を描いています。
今回展示している「地獄太夫之圖」を見てみると、野ざらしにされている髑髏と、浮かぶ地獄太夫の幽霊。
その顔は、どこか愉しそうに笑っているように見えます。
地獄太夫は若くして亡くなっていますが、辞世の句として「我死なば焼くな埋むな野に捨てて飢えたる犬の腹をこやせよ」と残し、葬列を先導する一休はその死体を町はずれの草原に置いたという話があります。
自分に会いに来る男たちは、自分の身体の上辺の皮の美しさのみを目的としており、彼らに「人も何も死ねば同じよ」と死体が腐り骨になっていくさまをみせるべく、言い残したのだそうです。
この話を踏まえて見ると、「ドヤァ!これがあんた達が愛した地獄太夫だよ!」と笑われているような気持ちになります。
愛らしいです。
その他、「郡育放雷圖」や、象牙細工の富士のある風景などなど、他にも一部展示の入れ替えを行いました。
逃げ惑う人々・・・その先に居るのは?
是非、見に来て下さいね。
[14回]
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