忍者ブログ
豪農の館ーコヤノ美術館西脇館ーの写真ブログ。コヤノ美術館HPへはプロフィールのHPアドレス若しくはリンクよりどうぞ。
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール
HN:
K
HP:
性別:
女性
自己紹介:
コヤノ美術館西脇館~豪農の館~
住所
〒677-0004 兵庫県西脇市市原町139番地(鍛冶屋線
市原駅記念館 隣り)

開館日
毎週土曜・日曜日。午前10時~午後5時(冬季は午後4時まで)

問い合わせ
TEL:(06)6358-4930 
(月曜~土曜 午前9時~午後6時まで)
mail:koyano@koyafron.co.jp
ブログ内検索
最新コメント
[01/04 ブロッサム]
[02/09 白い家具]
[08/01 興味津々丸]
[07/28 意匠創作のふたり]
[07/05 おにかま]
バーコード
カウンター
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

親は子の息災を願う

あけましておめでとうございます(遅)

コヤノ美術館西脇館も展示入れ替え期間を終え、先日1月18日から開館しております。
(※開館日は土・日のみです)

日本の正月と言えば、羽付・凧あげ・独楽回し…?
期間展示として、現在羽子板と独楽の展示をおこなっております。


今年は午年なので、馬を持ったお姉さんの羽子板も飾ってみました。
「春駒」ですね。
300年近く昔の羽子板もあります。

「羽付」は室町時代貴族の遊びとしてはじまりました。
その後、遊戯だけではなく、魔よけの絵等が描かれた装飾的な羽子板も誕生します。
庶民は、お歳暮の品として送り合い、正月飾りとして使用するなどもしたようです。

江戸時代に入ると、役者の押絵がされた華やかな羽子板も登場し、庶民の間ではより一層人気を集めました。


遊戯の方も、羽子板でつく羽のついた黒い玉、あの玉は「無患子(むくろじ)」という大木の種から作られ、「子供が患わない」という意味が込められていたり、また、羽付をすることで、悪いものを「はね」のけるのだそうで。

また、当時、疫病を運ぶ害虫である蚊を食べるトンボが、大変愛されていたのですが。羽付のハネはトンボに似ていることから、「子が蚊に刺されて病気をしないおまじない」ともされたそうです。

担げる縁起はなんでも担ぎたいといった感じですね。

拍手[8回]

PR

来年のお知らせ(ナイトミュージアム写真有り)

も~ぅいーくつ寝ーるーと~♪

今年も残すところあと数日となりました。
コヤノ美術館西脇館の来年の展示は、「貯金箱と宝船展」です。
2014年1月18日~です。
詳しくは年明けに書きます。

そして、コヤノ美術館西脇館、初の試みにて大好評の「ナイトミュージアム」



いらっしゃったお客様に非常に喜んで頂き、嬉しい限りです。
ナイトミュージアムは後6回実施します。
日程 :平成26年 1/18、1/25、2/1、2/8、2/15、2/22




入館料は今までどおりそのままで、入館は完全予約制とさせて頂いております。
予約専用番号:090-1919-0481
詳細についても、こちらの電話にてお伝え致します。



定員に空きがある場合、当日16:00まで予約受け付けております。
定員:2名様~15名様



それでは皆様、良いお年を。

拍手[9回]

年末年始休館のご案内

寒くなりましたね。
暗くなるのも早いので、12月からは開館時間が10:00~16:00の冬期仕様となります。


撮影場所:主屋玄関 入館受付ブース

そして、今年も残すところわずかとなってきました。
コヤノ美術館西脇館、今年度は12月15日までです。
以降、展示品入れ替え期間として、休館させて頂きます。
来年度は、1月18日からです。

今年のメイン展示「裁縫と抒情画展」
その他、「巳コレクション」や「オリンピック展示」、「70年安保のヘルメット」などなど、見逃したらもう見れません。まだの方はお早めに。

来年度の展示も、お楽しみに・・・!

拍手[10回]

ナイトミュージアム

闇の中だからこそ、光がより鮮やかに、進む道を照らし出す・・・



夜の帳がおりた後、昼には見えないもう一つの顔が見えてくる


★冬期限定!ナイトミュージアム★
12月~2月末までの土曜日、コヤノ美術館西脇館にて、ナイトミュージアムを開催します。

平成25年 12/7、12/14
平成26年 1/18、1/25、2/1、2/8、2/15、2/22

入館料は今までどおりそのままで、入館は完全予約制とさせて頂いております。
予約専用番号:090-1919-0481

定員に空きがある場合、当日16:00まで予約受け付けております。
定員:2名様~15名様
その他詳細は電話にてご確認下さい。



時代を越えた建物が、蝋燭の明かりが、沢山のガラスが、夜の空気が、
織り成し生まれた幻想世界へ足を踏み入れてみませんか?

拍手[11回]

電気のある生活④~コンセント~

二股ソケットが登場し、より便利に使えるようになった電気機器。
電灯の笠の中からアイロンのコードが、掃除機のコードが、ピロンと延びているという風景が一般家庭でもちらほらと見られたのではないでしょうか(とは言え、庶民には高嶺の花の電気機器。どれほど普及したものか詳しくないですが…)
そして戦後の高度経済成長期に突入し、壁付けコンセントが普及しました。

・・・が、コヤノ美術館西脇館(旧藤井家)は、一般家庭とは違います。
大正時代の建物の壁に、しっかり着いていますコンセント。


撮影場所:大正洋館の脱衣場


撮影場所:大正洋館の応接間

応接間の方はフタ付きです。

形が異なりますが、輸入国の違いでしょうか。使用目的の違いとかで変えたのでしょうか。
コンセントについては私、全く分かりません。気になる・・・。

これだけ電気をひいていたら、電気のある生活①で見たように、碍子も沢山ある訳ですね。

拍手[10回]

電気のある生活③~二又ソケット~

アイロン等の電気製品が登場して、問題となった電源。
くどいようですが、「「電気のある生活②」で書いた通り、当時の一般家庭には普通、壁にコンセントが無く、居間の天井に1カ所だけ照明用電灯線が引かれているだけでした。
だから、電気器具を使うには、電球を取り外して、そこへ器具を接続。電灯か家電か、どちらかしか使えない状態でした。
もう一本ひけばいいじゃない。と、思われるかもしれませんが、大正時代、多くの一般家庭は電気の供給口を一つだけ設置し、電気使用料金を定額とする「一戸一灯契約」を電気会社と結んでいたのでした。
不便です。
ものすごく不便です。
そこに登場したのが所謂「二又ソケット」。


写真は「一灯一差」
二灯用クラスターの片方がコンセント差込口になっています。
『「二灯用差込プラグ」(通称二又ソケット)』と書かれているものがよくありますが、二又ソケットは「二灯用クラスター」の事だと思っています。この辺の話は長くなるのでここでは省きます。

「松下電気器具製作所(現パナソニック)創業者の松下幸之助が独立したての時に、電灯と他の電気製品を使いたい姉妹(若しくは兄弟)が喧嘩しているところを目撃して考案した」とか「松下が社員全員で相談していたところ、二股にすればよいという案が出た」という話が様々なところで語られていますが、正しくは元々存在した商品をより使いやすく・壊れにくく・安価提供を行ったのが松下だった、という事のようです。この辺の話も長くなるので以下略。

なんせ、松下のこの商品は、月産5千台という大ヒットとなりました。


3つに分かれているものもあります。


これらや、昔の電球、ひよこの卵を温めるためのひよこ電球など数点も、現在展示中です。

拍手[9回]

「この世は地獄よ」「地獄も極楽も同じさ」

夏!と、言えば…青い海?セミの声?背筋も凍る、怪談か!
と言う訳で、今回初公開の一幅の幽霊画を展示しております。

「幽霊画」と言われると、どういうものを想像されますか?
おぼろげで、恨みの形相で、おどろおどろしい…感じでしょうか。
私も最初はそういうものばかり創造していたのですが、今回展示しているのは、美しい幽霊画です。

久保田 金僊(くぼた きんせん)筆、「地獄太夫之圖」

室町時代、泉州堺の遊郭いた「地獄」を名乗る遊女が居ました。
彼女は武家の生まれでしたが、少女時代に山中で賊に攫われ、その美貌の為に遊郭へと売られてしまいました。
遊女として育っていった彼女は、この不幸は全て前世での行いの報いであると考え、この世は所詮地獄よ、という意味を込めて「地獄太夫」と名乗ったのだとか。
彼女はその美貌だけではなく、和歌も上手く、地獄変相図の衣を愛用するという変わった出で立ちで、非常に人気のある遊女でした。
そして、彼女の噂を聞きつけて、やってきたのは一休さんで有名な一休宗純。その美しさに「聞きしより見て美しき地獄かな」と歎賞すると、太夫が「生き来る人の落ちざらめやも」と見事に返した事から意気投合し、2人は師弟関係を結びました。
その後、一休の教えにより地獄太夫は地獄も極楽も一如であると悟ったそうです

この地獄太夫、様々なエピソードもあいまって多くの画家の題材となっています。
特に明治期以降は、地獄太夫と同じ趣向で「幻太夫」と名乗る遊女がおり、彼女の風貌も混同させて、地獄・極楽なんでもござれ、派手で艶やかな絵が多く描かれました。
久保田金僊は父・兄とも画家の一家ですが、父・米僊もまた地獄太夫の絵を描いています。

今回展示している「地獄太夫之圖」を見てみると、野ざらしにされている髑髏と、浮かぶ地獄太夫の幽霊。
その顔は、どこか愉しそうに笑っているように見えます。


地獄太夫は若くして亡くなっていますが、辞世の句として「我死なば焼くな埋むな野に捨てて飢えたる犬の腹をこやせよ」と残し、葬列を先導する一休はその死体を町はずれの草原に置いたという話があります。
自分に会いに来る男たちは、自分の身体の上辺の皮の美しさのみを目的としており、彼らに「人も何も死ねば同じよ」と死体が腐り骨になっていくさまをみせるべく、言い残したのだそうです。

この話を踏まえて見ると、「ドヤァ!これがあんた達が愛した地獄太夫だよ!」と笑われているような気持ちになります。
愛らしいです。

その他、「郡育放雷圖」や、象牙細工の富士のある風景などなど、他にも一部展示の入れ替えを行いました。


逃げ惑う人々・・・その先に居るのは?

是非、見に来て下さいね。





拍手[14回]



忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne