コヤノの館長は蒐集家です。
その、蒐集品から出てきました。
藤井氏を知る、一片。
兵庫県多可郡役所に出された明治20年~25年の「所得届」
写真:明治22年「所得届金額及人名」表紙。「藤井茂兵衛ら」の字が・・・!
所得税は財政需要が増大する中、新しい財源の確保をすると共に、全ての人に公平に収入に応じた税を負担させるべく、明治20年(1887)に導入されました。
当時の所得税は、資産や営業などの所得金高が年間300円以上ある高額所得者が対象です。
写真:「明治二十三年所得議決高及人名他」。所得参百円から載っています。
納税者は所得の予算金高・種類を所得金高届に記し、居住地の戸長を経て郡区長に届け出ました。
因みに、届は多可郡役所に出されていますが、当時の多可郡は現在の多可町、西脇市、神河町です。
明治22年(1789年)4月1日、町村制施行に伴い、多可郡は津万村・日野村・重春村・比延庄村・黒田庄村・中村・松井庄村・杉原谷村・野間谷村・越知谷村の10村で構成されるようになりました。
コヤノ美術館のある「市原」は、日野村になります。日野村は西田井村、 富田村、 郷瀬村、 小坂村、大木村、 前島村、市原村、 羽山村、 富吉村、 上野中村が統合された村です。
ただ、統合後も「市原村」として記されることも多かったようです。
所得届の中から、藤井さんの名前を探してみると、
写真:右部・・・明治22年「所得届金額及人名」 左部・・・明治21年 「所得税會議決表」
明治20年 「明治二十年高」
市原村 藤井茂兵衛 届額:2000円 税額:2300円
明治21年 「所得税會議決表」
藤井茂兵衛 届額:2030円 税額:2601円
明治22年 「所得届金額及人名」
市原村 藤井茂兵衛 2301円
明治23年 「明治二三年所得議決金高及人名他」
藤井茂兵衛 2583円
明治24年 「所得税議決他」
藤井茂兵衛 2560円
明治25年 「所得納税議決録」
藤井茂兵衛 2126円
この様にありました。
明治20年以外は全て最高額所得者であり、また、多可郡議員の一人でもありました。
ではこの金額、いったいどれ位のものなのか。
明治20年の高額所得番付1位の岩崎久弥(三菱財閥、弥太郎の子)で、696,596円です。
さすがに1位はケタが違います。
この時の9位は住友財閥の住友吉左衛門、77、351円です。
1位には遠く及ばないものの、やはりケタが違います。財閥は強い・・・。
所得ではないので単純比較はしにくいですが、明治18年~明治21年の総理大臣時の伊藤博文の月報は800円です。年報にすると10,000円位?明治23年・24年の貴族院議長時は年俸5,000円です。
夏目漱石は明治19年に江東義塾の教師として月に5円のアルバイト。明治26年、東京高等師範学校の嘱託教師として年俸450円貰っています。
・・・、ピンと来ないですね。
明治22年 国会議員 年俸800円
明治24年 巡査の初任給 月俸8円(諸手当は含めていない)
明治25年 大工さん(全国平均) 1日27銭(月5.4円程度)
明治25年 日雇い人夫 1日18.4銭(月3.7円程度)
明治25年 機織職(女) 1月1.7円
明治25年 住み込み下男 1月1.55円 (食事つき)
明治25年 住み込み下女 1月0.82円 (食事つき)
年・月・日が入り混じっており見難くてすみません。
しかし、下の方に来ると、違う意味でケタが違います・・・。
格差が凄くて、金額を図りかねますね。
また、明治25~30年頃の物価は、現在の約3800倍なので、1円は今の3800円位と言えない事も無いのですが、明治25年は、6円あれば家族3人がなんとか1ケ月暮らせる金額らしいので、そうそう単純に計算出来るものでもなさそうです。
しかし、年間所得が国会議員の年俸の3倍近いので、かなりの金額だとは思います。
[7回]
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