コヤノ美術館西脇館(旧藤井家)の前に、鉄道車両(キハ30)と
鍛冶屋線市原駅記念館があります。
この、市原駅、そして西脇ー市原間3.1キロのレールを敷いた人というのが、当時の藤井家当主・藤井滋吉です。
鍛冶屋線は、平成2年の3月末には廃線となり、駅舎などは取り壊されるのが通例ですが、市原駅と車両は、市原町民による「一、廃線後、速やかに道路化してほしい。二、駅舎周辺を鉄道公園にしてほしい。三、駅舎を鉄道資料館として保存してほしい」という要望と、そして、その気持ちを汲んだ区や市の尽力により残されたものです。
上の写真は2010年夏~11月に塗り替えられたもので(絵本作家の吉田稔美氏デザイン)、それ以前はこんな感じでした↓
滋吉氏、お金には糸目をつけない人だったらしく、駅舎のデザイン・設計は東京のアメリカ屋という建築屋の技師に頼み、開通式には鉄道大臣も出席したという話もあります。
※現在の資料館は、旧駅舎を復元建て直ししたものらしいです。
---------以下、引用--------------------
昭和52年1月22日 神戸新聞
加古川線 市原駅 「鉄道誘致の呼び水に」
一人の先覚的な篤志家が作った珍しい駅。土地の古老たちは時の流れでその人の名前が忘れ去られ、地域発展のカギとなった鉄道建設に深くかかわった人が、ごく身近にいたことすら知らずにいるのを嘆く。「顕彰碑の一つもあっていいのに」と。かつての〝文明の利器″が、クルマ時代の不便な乗り物になった今では、くりごとだと知りながら…。
市原駅は大正十年、奇妙な形で誕生した。加古川線の国包―西脇駅間、野村―谷川駅間が一気に開通したのと違って部分開通。鍛
冶屋線全線(西脇―鍛冶屋駅十一・六キロ)のうち、一駅分三・四キロだけが全線開通より二年も前に出来た。
「だれでもない、藤井滋吉さんの功績なんですよ。当時の播州鉄道の株主でもあったんですが、資材を投げうってレールを敷き、駅舎を建てたんです。レールも加古川本線のと違って質のいいモンだったときいてますよ。当時の金でどのくらいかかったかは、はっきり知りませんが、おそらく何万円、今ではどのくらいでしょう。そりゃ相当なモンだったと思いますねえ」
いきさつを知る西田町の藤井一郎さん(八三)。昔、駅舎完成と同時に植えたさくらの古木の下に銅像を建てる話もあったが、実現しなかったという。
滋吉氏は市原の大地主。大正九年に設立した西脇商業銀行(太陽神戸銀行の前身)の創設者の一人。資産家ではあったが〝大尽〟の性格ではなく、常に人より一歩先を見る人だったという。鉄道に関しても、これからは必要になる交通機関だという強い信念で誘致に奔走した。「滋吉氏から話を聞いたことがあるんですが、誘致の話も沿線の意見がまとまらず、やむなく資材を投げ出して部分開通に踏み切ったということでした。わずか一駅だけでも、ちゅうちょする市原以北の人たちに誘致機運を盛り上げる〝呼び水〟にしたかったんでしょうね。だから市原で止まったんでは値打ちがない、杉原谷(多可郡加美町)も惜しいことをした、五万円出したら鍛冶屋駅以北も出来ていたのに―とよく言ってました」
構想を真剣に論議、廃止するならムシロ旗でも立てて反対しようという相談までしたという。(~以下略~)
-------------- 引用終わり -------------------------
東大・一橋大・早大生などの俊才を送った市原駅。
銀行、百貨店、料亭やカフェ…駅前には四十を超す商店がひしめいたそうですが、今はその面影もありません。
市原駅誕生より今年で僅か91年。時代の流れの速さを痛感します。
市原駅記念館は無料で見学できます。
来られた際は、少し覗いてみてはいかがでしょうか。
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