兵庫県加古川市と丹波市を結ぶJR加古川線が開業100周年を迎えました。おめでとうございます。
4月7日には加古川駅にて記念の出発式があったそうです。
JR加古川線は1913(大正2)年4月1日、播州鉄道として加古川水系の舟運の代替として設立され、加古川町‐国包(現・加古川‐厄神)駅間が開業、23年に播但鉄道に路線を譲り、24年には谷川駅(丹波市)までの48・5キロが全通し、第2次大戦中の43年に戦時買収され国有化、加古川線となりました。
そして、コヤノ美術館西脇館も播州鉄道に纏わる場所の一つとして、4月12日神戸新聞朝刊の地域ニュース(北播)にて取り上げられました。
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1913(大正2)年8月に加古川町―西脇が開通した加古川線の前身、播州鉄道は15年に北条支線、17年に三木支線と、北播磨の主要地域に支線を延ばした。
西脇市北部では21(同10)年、藤井滋吉(1886~1949年)が、私財を投じて西脇駅(現在の西脇市駅とは別)から同市市原町の自宅前まで約3㌔の鉄路を引き、市原駅舎(現市原駅記念館)を構えた。2年後、線路は多可町中区鍛冶屋の鍛冶屋駅へと延び、鍛冶屋線として開通。奥播州の発展につながった。
藤井は西脇屈指の大地主。市原駅近くの大邸宅には明治期の木造2階建て本館、大正期の休憩棟、昭和期の客棟が並ぶ。秋には年貢米の俵が蔵に積みあがった。かつて米俵を見上げ、戦後、播州織商社を興した元社長、内橋謙一さん(94)=市原町=は藤井を「恰幅の良い名士で、雲の上の存在だった」と振り返る。
藤井は西脇商業銀行創設者の一人で、播州鉄道の株主だった。七三に分けた髪に口髭を蓄え、出掛けるときは懐中時計をスーツに忍ばせた。「ハイカラで、欧米の音楽をかけて踊ったりしていた」と孫の照也さん(76)は振り返る。英語が堪能で、時代の一歩先を見通す人物だったという。
元滝野歴史民族資料館長の故岡本勲さんは、西脇以北への延伸計画が滞った際、藤井が「市原駅舎は私が寄付する」と提案し、線路を引いたと記した。孫の敬三さん(72)の手元には、藤井が鉄道会社へ多額の寄付をしたことを示す証文が残されている。
内橋さんは市原駅周辺の当時のにぎわいを覚えている。商店が並び、人力車やタクシーなどがせわしなく行き来した。鍛冶屋線も播州織の振興を促した。原糸を貨車で運び、駅周辺の機屋が織り上げる。生地は加古川線の汽車で運ばれ、神戸港から海外へ輸出された。
内橋さんは「輸送は汽車頼み。鍛冶屋線が通っていなければ、西脇市北部や多可町中区の発展は遅れたのでは」と指摘する。~(以下略)~ (伊藤大介)
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前身であるである播州鉄道の大株主であり、戦争などで工事中断をしていた中、西脇―市原間を私財をなげうって敷いた藤井滋吉氏。
彼の家を修復し、コヤノ所有の美術品と共に公開しているコヤノ美術館西脇館。
残念ながら藤井氏の史料はこちらには残っていないのですが、この家から藤井氏暮らしぶり等を感じ取れるのではないでしょうか。
写真:館内より、チラリと見える車輌(キハ30)
藤井氏も自宅から電車の走る様を眺めたのだろうか。
播州鉄道の路線図や、播州織りの海外輸出品にのみ使用された商標なども展示しております。
藤井氏と鍛冶屋線市原駅については、以前の記事
「藤井氏の痕跡ー鍛冶屋線市原駅」 でも紹介しております。
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