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豪農の館ーコヤノ美術館西脇館ーの写真ブログ。コヤノ美術館HPへはプロフィールのHPアドレス若しくはリンクよりどうぞ。
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プロフィール
HN:
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性別:
女性
自己紹介:
コヤノ美術館西脇館~豪農の館~
住所
〒677-0004 兵庫県西脇市市原町139番地(鍛冶屋線
市原駅記念館 隣り)

開館日
毎週土曜・日曜日。午前10時~午後5時(冬季は午後4時まで)

問い合わせ
TEL:(06)6358-4930 
(月曜~土曜 午前9時~午後6時まで)
mail:koyano@koyafron.co.jp
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JR加古川線開業100周年

 兵庫県加古川市と丹波市を結ぶJR加古川線が開業100周年を迎えました。おめでとうございます。
4月7日には加古川駅にて記念の出発式があったそうです。
 
JR加古川線は1913(大正2)年4月1日、播州鉄道として加古川水系の舟運の代替として設立され、加古川町‐国包(現・加古川‐厄神)駅間が開業、23年に播但鉄道に路線を譲り、24年には谷川駅(丹波市)までの48・5キロが全通し、第2次大戦中の43年に戦時買収され国有化、加古川線となりました。

 そして、コヤノ美術館西脇館も播州鉄道に纏わる場所の一つとして、4月12日神戸新聞朝刊の地域ニュース(北播)にて取り上げられました。


----------(以下引用)-------------------------------------------------------
 1913(大正2)年8月に加古川町―西脇が開通した加古川線の前身、播州鉄道は15年に北条支線、17年に三木支線と、北播磨の主要地域に支線を延ばした。
 西脇市北部では21(同10)年、藤井滋吉(1886~1949年)が、私財を投じて西脇駅(現在の西脇市駅とは別)から同市市原町の自宅前まで約3㌔の鉄路を引き、市原駅舎(現市原駅記念館)を構えた。2年後、線路は多可町中区鍛冶屋の鍛冶屋駅へと延び、鍛冶屋線として開通。奥播州の発展につながった。

 藤井は西脇屈指の大地主。市原駅近くの大邸宅には明治期の木造2階建て本館、大正期の休憩棟、昭和期の客棟が並ぶ。秋には年貢米の俵が蔵に積みあがった。かつて米俵を見上げ、戦後、播州織商社を興した元社長、内橋謙一さん(94)=市原町=は藤井を「恰幅の良い名士で、雲の上の存在だった」と振り返る。

 藤井は西脇商業銀行創設者の一人で、播州鉄道の株主だった。七三に分けた髪に口髭を蓄え、出掛けるときは懐中時計をスーツに忍ばせた。「ハイカラで、欧米の音楽をかけて踊ったりしていた」と孫の照也さん(76)は振り返る。英語が堪能で、時代の一歩先を見通す人物だったという。

 元滝野歴史民族資料館長の故岡本勲さんは、西脇以北への延伸計画が滞った際、藤井が「市原駅舎は私が寄付する」と提案し、線路を引いたと記した。孫の敬三さん(72)の手元には、藤井が鉄道会社へ多額の寄付をしたことを示す証文が残されている。

 内橋さんは市原駅周辺の当時のにぎわいを覚えている。商店が並び、人力車やタクシーなどがせわしなく行き来した。鍛冶屋線も播州織の振興を促した。原糸を貨車で運び、駅周辺の機屋が織り上げる。生地は加古川線の汽車で運ばれ、神戸港から海外へ輸出された。
 内橋さんは「輸送は汽車頼み。鍛冶屋線が通っていなければ、西脇市北部や多可町中区の発展は遅れたのでは」と指摘する。~(以下略)~ (伊藤大介)
------------(引用終わり)----------------------------------------------------

前身であるである播州鉄道の大株主であり、戦争などで工事中断をしていた中、西脇―市原間を私財をなげうって敷いた藤井滋吉氏。
彼の家を修復し、コヤノ所有の美術品と共に公開しているコヤノ美術館西脇館。
残念ながら藤井氏の史料はこちらには残っていないのですが、この家から藤井氏暮らしぶり等を感じ取れるのではないでしょうか。

写真:館内より、チラリと見える車輌(キハ30)
藤井氏も自宅から電車の走る様を眺めたのだろうか。

播州鉄道の路線図や、播州織りの海外輸出品にのみ使用された商標なども展示しております。

藤井氏と鍛冶屋線市原駅については、以前の記事「藤井氏の痕跡ー鍛冶屋線市原駅」 でも紹介しております。

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第五回西脇多可新人高校駅伝がありました。

日がだいぶ経ってしまいましたが、
2月17日に、第五回西脇多可新人高校駅伝がありました。
この日は寒い日で、気温1℃位だったと思います。

コヤノ美術館の屋根にもうっすら雪が・・・。


全国の高校生が出場し、西脇市− 多可町間の往復で、男子7区間42・195キロ、女子5区間21・0975キロ走ります。

公式ホームページ:第五回西脇多可新人高校駅伝

コヤノ美術館の前の道路もルートになっているので、ばっちり応援しています。

男子


そして女子



男子の部では西脇工業高校が全国63チーム中6位でした。

写真撮影:館長代理

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寒い中・・・

寒波、来ましたね。
この土・日、本当に寒かったです。風が冷たい。
コヤノ美術館周辺も、土曜日の晩から雪が降り、日曜には薄っすらと積もっておりました。



しかし、この寒い中でも見学したいと足を運んで下さり、笑顔で帰るお客様の姿を見ると、本当に嬉しい気持ちになります。

そして、この日曜日は、衆議院議員の藤井ひさゆき先生も見学にいらっしゃいました。

撮影:館長代理。藤井先生と館長と。


撮影:館長代理。展示や建物の解説に耳を傾ける藤井先生。

本当にお忙しい中、じっくりと見学されていきました。
そして、「見るものが多くて、驚きました。また、建物も素晴らしく、これだけの物を私費で守っているというのは本当に大変なことだと思います。有難うございます。」とのお言葉を頂きました。
有難うございました。
西脇出身の若手議員ということもあり、頑張って欲しいですね。


コヤノ美術館では、見学に来られた皆様に、より楽しんで頂けるよう、可能な限りご案内させて頂いております。

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藤井氏の所得

コヤノの館長は蒐集家です。
その、蒐集品から出てきました。
藤井氏を知る、一片。
兵庫県多可郡役所に出された明治20年~25年の「所得届」

写真:明治22年「所得届金額及人名」表紙。「藤井茂兵衛ら」の字が・・・!

所得税は財政需要が増大する中、新しい財源の確保をすると共に、全ての人に公平に収入に応じた税を負担させるべく、明治20年(1887)に導入されました。
当時の所得税は、資産や営業などの所得金高が年間300円以上ある高額所得者が対象です。


写真:「明治二十三年所得議決高及人名他」。所得参百円から載っています。

納税者は所得の予算金高・種類を所得金高届に記し、居住地の戸長を経て郡区長に届け出ました。

因みに、届は多可郡役所に出されていますが、当時の多可郡は現在の多可町、西脇市、神河町です。
明治22年(1789年)4月1日、町村制施行に伴い、多可郡は津万村・日野村・重春村・比延庄村・黒田庄村・中村・松井庄村・杉原谷村・野間谷村・越知谷村の10村で構成されるようになりました。
コヤノ美術館のある「市原」は、日野村になります。日野村は西田井村、 富田村、 郷瀬村、 小坂村、大木村、 前島村、市原村、 羽山村、 富吉村、 上野中村が統合された村です。
ただ、統合後も「市原村」として記されることも多かったようです。

所得届の中から、藤井さんの名前を探してみると、


写真:右部・・・明治22年「所得届金額及人名」 左部・・・明治21年 「所得税會議決表」

明治20年 「明治二十年高」 
         市原村 藤井茂兵衛 届額:2000円 税額:2300円
明治21年 「所得税會議決表」
         藤井茂兵衛 届額:2030円 税額:2601円
明治22年 「所得届金額及人名」 
         市原村 藤井茂兵衛 2301円
明治23年 「明治二三年所得議決金高及人名他」  
         藤井茂兵衛 2583円
明治24年 「所得税議決他」 
         藤井茂兵衛 2560円 
明治25年 「所得納税議決録」 
         藤井茂兵衛 2126円  

この様にありました。
明治20年以外は全て最高額所得者であり、また、多可郡議員の一人でもありました。

ではこの金額、いったいどれ位のものなのか。

明治20年の高額所得番付1位の岩崎久弥(三菱財閥、弥太郎の子)で、696,596円です。
さすがに1位はケタが違います。
この時の9位は住友財閥の住友吉左衛門、77、351円です。
1位には遠く及ばないものの、やはりケタが違います。財閥は強い・・・。

所得ではないので単純比較はしにくいですが、明治18年~明治21年の総理大臣時の伊藤博文の月報は800円です。年報にすると10,000円位?明治23年・24年の貴族院議長時は年俸5,000円です。
夏目漱石は明治19年に江東義塾の教師として月に5円のアルバイト。明治26年、東京高等師範学校の嘱託教師として年俸450円貰っています。
・・・、ピンと来ないですね。

明治22年 国会議員 年俸800円
明治24年 巡査の初任給 月俸8円(諸手当は含めていない)
明治25年 大工さん(全国平均) 1日27銭(月5.4円程度)
明治25年 日雇い人夫  1日18.4銭(月3.7円程度)
明治25年 機織職(女) 1月1.7円
明治25年 住み込み下男 1月1.55円 (食事つき)
明治25年 住み込み下女 1月0.82円 (食事つき)    

年・月・日が入り混じっており見難くてすみません。
しかし、下の方に来ると、違う意味でケタが違います・・・。
格差が凄くて、金額を図りかねますね。

また、明治25~30年頃の物価は、現在の約3800倍なので、1円は今の3800円位と言えない事も無いのですが、明治25年は、6円あれば家族3人がなんとか1ケ月暮らせる金額らしいので、そうそう単純に計算出来るものでもなさそうです。

しかし、年間所得が国会議員の年俸の3倍近いので、かなりの金額だとは思います。

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月曜ゴールデン

昨日、9/3日から新たに始まった月曜ゴールデンドラマ
「さすらいのプラチナワゴン~歌手・美波丈太朗の事件簿」
里美浩太郎が演じる大手レコード会社の会長兼歌手・美波丈太朗が、歌でもう一度花を咲かせるべく、プラチナワゴンに乗って営業へ。その先で待ち受けていたのは・・・

第一話「招かれた町で殺人ステージ!?その歌声は…18年前の母の死の謎…娘よ!許してほしい!父の涙」

西脇市が、このロケ地となりました。
へそ公園や西脇ロイヤルホテルをはじめ、有名な場所が映っています。
コヤノ美術館西脇館も・・・

[高画質で再生]

さすらいのプラチナワゴン~歌手・美波丈太朗の事件 20121203 [無料BBS]

33秒辺り、OPからCMに入る前に、外塀が映っています。
本編にも同じシーンがあります。

館長代理の話によると、2月頃に撮影されていたようですが、全く知らずに居たので、昨日TVを見ていて驚きました(笑)

知った場所が映ると、「あ、あそこだな」と思ってニヤリとしてしまいますね


コヤノ美術館西脇館 外塀

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北校生による定期清掃活動

前庭に何やら人影が・・・


昨日、11/15日は、西脇北高校の生徒さん達が清掃作業に来てくれました。
コヤノ美術館での清掃活動は、2010年より、授業の一環として定期的に行って頂いてます。
こうやって生徒さんが来られるのも、今年で3年目。早いものです。



いつもは、館内の清掃を行ってもらっていたのですが、今回は草むしりです。

寒くなってきたので、春・夏のようにワサワサ増えて、グングン伸びる…といったことはありませんが、草はやっぱり生えてきます。

草むしり…じっと屈んで、草と戦う。本当に地道で、大変な作業です。


鎌を使って、根こそぎしっかりと…!

寒い中皆さん一生懸命頑張ってくださり、本当にありがとうございました。

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門覆う木

遅くなりましたが…
9月初旬に入口の門を覆っていた木の枝をばっさり伐りました。

◆before◆


◆after◆


さっぱりしましたね!
伐る前は、「木がモクモクある方が風格とか趣があっていいよ」といった意見もありましたが…


伐ってもったいなかった様な気もしましたが…

無いほうが清々しくて良いと思います。

そして・・・
実はこの木、かなり弱っていたのですが、枝を伐ったことで元気になったのか、現在勢い良く、枝を伸ばしています。

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