忍者ブログ
豪農の館ーコヤノ美術館西脇館ーの写真ブログ。コヤノ美術館HPへはプロフィールのHPアドレス若しくはリンクよりどうぞ。
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
K
HP:
性別:
女性
自己紹介:
コヤノ美術館西脇館~豪農の館~
住所
〒677-0004 兵庫県西脇市市原町139番地(鍛冶屋線
市原駅記念館 隣り)

開館日
毎週土曜・日曜日。午前10時~午後5時(冬季は午後4時まで)

問い合わせ
TEL:(06)6358-4930 
(月曜~土曜 午前9時~午後6時まで)
mail:koyano@koyafron.co.jp
ブログ内検索
最新コメント
[01/04 ブロッサム]
[02/09 白い家具]
[08/01 興味津々丸]
[07/28 意匠創作のふたり]
[07/05 おにかま]
バーコード
カウンター
[23]  [24]  [25]  [26]  [27]  [28]  [29]  [30]  [31]  [32]  [33

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ドラゴンフライ

前庭にて、池に生えたガマの上にいつも居るシオカラトンボ
青味がかった体がとてもきれいです。



おとなしくて、近づいても逃げる気配がありません。
逃げたかな?と、思ってもくるっと小さい円を描いただけで、すぐこの場所へ戻ってきます。
何をしているんだろう・・・。

拍手[9回]

PR

電気のある生活③~二又ソケット~

アイロン等の電気製品が登場して、問題となった電源。
くどいようですが、「「電気のある生活②」で書いた通り、当時の一般家庭には普通、壁にコンセントが無く、居間の天井に1カ所だけ照明用電灯線が引かれているだけでした。
だから、電気器具を使うには、電球を取り外して、そこへ器具を接続。電灯か家電か、どちらかしか使えない状態でした。
もう一本ひけばいいじゃない。と、思われるかもしれませんが、大正時代、多くの一般家庭は電気の供給口を一つだけ設置し、電気使用料金を定額とする「一戸一灯契約」を電気会社と結んでいたのでした。
不便です。
ものすごく不便です。
そこに登場したのが所謂「二又ソケット」。


写真は「一灯一差」
二灯用クラスターの片方がコンセント差込口になっています。
『「二灯用差込プラグ」(通称二又ソケット)』と書かれているものがよくありますが、二又ソケットは「二灯用クラスター」の事だと思っています。この辺の話は長くなるのでここでは省きます。

「松下電気器具製作所(現パナソニック)創業者の松下幸之助が独立したての時に、電灯と他の電気製品を使いたい姉妹(若しくは兄弟)が喧嘩しているところを目撃して考案した」とか「松下が社員全員で相談していたところ、二股にすればよいという案が出た」という話が様々なところで語られていますが、正しくは元々存在した商品をより使いやすく・壊れにくく・安価提供を行ったのが松下だった、という事のようです。この辺の話も長くなるので以下略。

なんせ、松下のこの商品は、月産5千台という大ヒットとなりました。


3つに分かれているものもあります。


これらや、昔の電球、ひよこの卵を温めるためのひよこ電球など数点も、現在展示中です。

拍手[9回]

「この世は地獄よ」「地獄も極楽も同じさ」

夏!と、言えば…青い海?セミの声?背筋も凍る、怪談か!
と言う訳で、今回初公開の一幅の幽霊画を展示しております。

「幽霊画」と言われると、どういうものを想像されますか?
おぼろげで、恨みの形相で、おどろおどろしい…感じでしょうか。
私も最初はそういうものばかり創造していたのですが、今回展示しているのは、美しい幽霊画です。

久保田 金僊(くぼた きんせん)筆、「地獄太夫之圖」

室町時代、泉州堺の遊郭いた「地獄」を名乗る遊女が居ました。
彼女は武家の生まれでしたが、少女時代に山中で賊に攫われ、その美貌の為に遊郭へと売られてしまいました。
遊女として育っていった彼女は、この不幸は全て前世での行いの報いであると考え、この世は所詮地獄よ、という意味を込めて「地獄太夫」と名乗ったのだとか。
彼女はその美貌だけではなく、和歌も上手く、地獄変相図の衣を愛用するという変わった出で立ちで、非常に人気のある遊女でした。
そして、彼女の噂を聞きつけて、やってきたのは一休さんで有名な一休宗純。その美しさに「聞きしより見て美しき地獄かな」と歎賞すると、太夫が「生き来る人の落ちざらめやも」と見事に返した事から意気投合し、2人は師弟関係を結びました。
その後、一休の教えにより地獄太夫は地獄も極楽も一如であると悟ったそうです

この地獄太夫、様々なエピソードもあいまって多くの画家の題材となっています。
特に明治期以降は、地獄太夫と同じ趣向で「幻太夫」と名乗る遊女がおり、彼女の風貌も混同させて、地獄・極楽なんでもござれ、派手で艶やかな絵が多く描かれました。
久保田金僊は父・兄とも画家の一家ですが、父・米僊もまた地獄太夫の絵を描いています。

今回展示している「地獄太夫之圖」を見てみると、野ざらしにされている髑髏と、浮かぶ地獄太夫の幽霊。
その顔は、どこか愉しそうに笑っているように見えます。


地獄太夫は若くして亡くなっていますが、辞世の句として「我死なば焼くな埋むな野に捨てて飢えたる犬の腹をこやせよ」と残し、葬列を先導する一休はその死体を町はずれの草原に置いたという話があります。
自分に会いに来る男たちは、自分の身体の上辺の皮の美しさのみを目的としており、彼らに「人も何も死ねば同じよ」と死体が腐り骨になっていくさまをみせるべく、言い残したのだそうです。

この話を踏まえて見ると、「ドヤァ!これがあんた達が愛した地獄太夫だよ!」と笑われているような気持ちになります。
愛らしいです。

その他、「郡育放雷圖」や、象牙細工の富士のある風景などなど、他にも一部展示の入れ替えを行いました。


逃げ惑う人々・・・その先に居るのは?

是非、見に来て下さいね。





拍手[14回]

電気のある生活②~アイロン~

最初は照明のために家の中へと引き込まれた電気。
そして、その電気の素晴らしさを次に体感させてくれたのが大正時代に登場した電気アイロンです。

それまで主流だった炭火アイロン

中に炭を入れて、その熱とアイロン本体の重みでシワを伸ばします。アイロンがけは体力仕事です。

そして登場した電気アイロン


炭火アイロンと比べ、電気アイロンは軽く、準備も楽で、扱いが容易。
また、次々と登場する家電の中でも8~10円(現在の5万円位)と、比較的安価であった為、電球に続く電気の主要用途となりました。
 (とは言っても、昭和30年頃まで炭火アイロンも使われていた訳で、電気が身近になったのは、本当に最近のことだなぁとしみじみ思います)

ところで、この電気アイロン、コード線の先端を見ると電球のお尻みたいなのが付いています。

電気のある生活①でも書きましたが、電気の主な需要は「電灯」であり、一般家庭には電灯の為の電気しか来ていません。

電気アイロン登場当初はアイロンを使用するのに電灯から電球をはずして、そこから電気をとっていたんですね。


コヤノ美術館西脇館では今年度展示「裁縫と抒情画展」にて、100点以上のアイロンを展示中です。

ではでは、電気のある生活③に続く。

拍手[9回]

電気のある生活①~碍子~

明治中ごろから、日本の家庭に徐々に電気が引かれるようになりました。
主な需要は「電灯」です。
家に引き込んだ電線を「電灯線」と呼んだり、電力会社の名前が元々「東京電燈」や「名古屋電燈」であった事からも、その事か伺えます。

家の中に電灯が灯った時、本当に感動した事でしょう。

「電灯線」を配線するのに必要になったのが「碍子(ガイシ)」。
線とその支持物との間を絶縁し、また線が弛まないように配す為のものです。
当時の碍子と電灯線は壁や天井伝いにむき出しに取り付けられていました。

コヤノ美術館西脇館はと言うと・・・
縁側や廊下の下に碍子がビシッと整列しています。



数が多いので壮観。
設置するのも大変だったのではないかと思われます。
それでも線を隠そうとする…こだわりですね。

まさしく、縁の下の力持ちです。

拍手[8回]

国登録有形文化財

コヤノ美術館西脇館(旧藤井家住宅)主屋が国登録有形文化財に登録される事となりました。

もみじ2

主屋は1890年に建てられた木造平屋一部二階建ての近代和風建築です。
屋根が非常に高く、開放的な土間にすっと伸びた一本の太い梁は凄いの一言に尽きます。

また、白のタイルを使用した明るい台所、電話室、大阪の名所である天神橋など、鉄橋を彫った珍しい欄間、明治時代の水洗トイレなど、田舎の農家(豪農)であるにも関わらず先進文化ふんだんに取り入れてある建物で、建てた方が先覚者であったことが窺い知れます。
欄間

コヤノと、この家との出会いは2006年秋。
不動産会社に紹介されて見に行きました。
長期間空き家であった為、かなり傷んでいたものの、主屋に上がる太い梁を見た館長は、「このような素晴らしい建物を、このまま失なってしまうのは、勿体無いし日本にとっても損害だ。」と購入を決意。
2007年より約1年半の修復工事を行いました。


傷みの激しかった奥座敷付近は床や天井板を張り替えておりますが、他は基礎部分を直した程度でほぼ当時のまま。
そして、木部やガラス、壁など建物全体を㈱コヤノが製造・発売・施工を行っている特殊表面保護剤「コヤフロン」を施しています。
「コヤフロン」の持つ、汚れ除去作用と防汚効果により、古民家特有の薄暗さが無く、美しい状態が蘇り、今後手垢や紫外線・酸性雨など劣化・風化の要因から建物を守ります。
     「コヤフロン」についてもっと知りたい方はこちら↓
     http://www.koyafron.co.jp/coyaflon/index.html

少し自社製品の宣伝を挟んでしまいましたが・・・
その工事を経て、2008年お盆より美術館として公開。
開館日は当初月に1度のみでしたが、様々な要望を聞き、今では毎週土・日に開館しております。


2011年6月、兵庫県教育委員会の方が、是非登録有形文化財に登録して貰いたいと、調査依頼に来られ、数度に渡る調査を行って頂きました。
この建物は、長年空き家だった事が良かったのか、現代の設備が施されていない昔のままの状態が残っており、文化庁の方からも「建物自体も素晴らしいが、良い状態で残されており、住宅としては珍しいケースです。」との言葉を頂きました。

今回文化財に登録された主屋の他に、大正時代の洋館や昭和初期の離れ(棟上は大正時代)、蔵などが立ち並んでおり、各時代の特色が良く出た建物を一同に見る事が出来ます。


今後も、これらの素晴らしい建物を守り、沢山の方に知ってもらい、後世へ残していきたいと思っております。


拍手[10回]

ハレ姿

ハレ、それは非日常。
慣れの無い世界。

普段無いものがあったり、あるものが無かったり…
たったそれだけの事なのに、いつもと違う空間に見えてくる。

先日のブライダルフェアの準備中に撮影した美術館のハレ姿(?)写真を、少しだけ載せておきます。









非日常は常に日常の中にありますが、それは決して日常の延長線上にあるものでは無いと思っています。

拍手[7回]



忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne