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豪農の館ーコヤノ美術館西脇館ーの写真ブログ。コヤノ美術館HPへはプロフィールのHPアドレス若しくはリンクよりどうぞ。
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プロフィール
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性別:
女性
自己紹介:
コヤノ美術館西脇館~豪農の館~
住所
〒677-0004 兵庫県西脇市市原町139番地(鍛冶屋線
市原駅記念館 隣り)

開館日
毎週土曜・日曜日。午前10時~午後5時(冬季は午後4時まで)

問い合わせ
TEL:(06)6358-4930 
(月曜~土曜 午前9時~午後6時まで)
mail:koyano@koyafron.co.jp
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彼岸花

ブログにするのが遅くなりましたが・・・
コヤノ美術館の塀沿いに彼岸花が咲きました(・・・先週)

お彼岸の頃になると、急に顔を現し、もう、こんな時期なんだなぁと思います。



彼岸花は今までの景色とは異質な赤の群れが急に広がる異様さからか、「曼珠沙華」(サンスクリット語manjusaka (天上の花)に字を当てたもの)、「死人花」、「地獄花」など、不吉さとめでたさを兼ね備えた、近寄りがたい存在として扱われてきました。

しかし、その呼び名の多いこと、また、人里でしか見かけないことから、非常に人と関わり深い花だと思います。

最近は、好んで育てている地域も多いようです。

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硝子戸の中の世界

硝子

光の加減で奥も内も映し出すそれは
現と幻の境界線
幻想世界


撮影場所:昭和の離れ2階の窓硝子

コヤノ美術館は、ガラスをふんだんに使った民家として稀な建物です。
ガラスは貴方にいつもと違う世界を魅せてくれるかもしれません。

因みに・・・日本の「ガラス」という言葉は、オランダ語から来たもので、「硝子」の字は、ガラスの原料に硝石を使っていることから、明治初年に官営の硝子製造会社が使用したことから広まった様です。

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門覆う木

遅くなりましたが…
9月初旬に入口の門を覆っていた木の枝をばっさり伐りました。

◆before◆


◆after◆


さっぱりしましたね!
伐る前は、「木がモクモクある方が風格とか趣があっていいよ」といった意見もありましたが…


伐ってもったいなかった様な気もしましたが…

無いほうが清々しくて良いと思います。

そして・・・
実はこの木、かなり弱っていたのですが、枝を伐ったことで元気になったのか、現在勢い良く、枝を伸ばしています。

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藤井氏の痕跡―鍛冶屋線市原駅

コヤノ美術館西脇館(旧藤井家)の前に、鉄道車両(キハ30)と

鍛冶屋線市原駅記念館があります。


この、市原駅、そして西脇ー市原間3.1キロのレールを敷いた人というのが、当時の藤井家当主・藤井滋吉です。

鍛冶屋線は、平成2年の3月末には廃線となり、駅舎などは取り壊されるのが通例ですが、市原駅と車両は、市原町民による「一、廃線後、速やかに道路化してほしい。二、駅舎周辺を鉄道公園にしてほしい。三、駅舎を鉄道資料館として保存してほしい」という要望と、そして、その気持ちを汲んだ区や市の尽力により残されたものです。

上の写真は2010年夏~11月に塗り替えられたもので(絵本作家の吉田稔美氏デザイン)、それ以前はこんな感じでした↓


滋吉氏、お金には糸目をつけない人だったらしく、駅舎のデザイン・設計は東京のアメリカ屋という建築屋の技師に頼み、開通式には鉄道大臣も出席したという話もあります。
※現在の資料館は、旧駅舎を復元建て直ししたものらしいです。

---------以下、引用--------------------

昭和52年1月22日 神戸新聞
加古川線 市原駅 「鉄道誘致の呼び水に」

 一人の先覚的な篤志家が作った珍しい駅。土地の古老たちは時の流れでその人の名前が忘れ去られ、地域発展のカギとなった鉄道建設に深くかかわった人が、ごく身近にいたことすら知らずにいるのを嘆く。「顕彰碑の一つもあっていいのに」と。かつての〝文明の利器″が、クルマ時代の不便な乗り物になった今では、くりごとだと知りながら…。

 市原駅は大正十年、奇妙な形で誕生した。加古川線の国包―西脇駅間、野村―谷川駅間が一気に開通したのと違って部分開通。鍛冶屋線全線(西脇―鍛冶屋駅十一・六キロ)のうち、一駅分三・四キロだけが全線開通より二年も前に出来た。
「だれでもない、藤井滋吉さんの功績なんですよ。当時の播州鉄道の株主でもあったんですが、資材を投げうってレールを敷き、駅舎を建てたんです。レールも加古川本線のと違って質のいいモンだったときいてますよ。
当時の金でどのくらいかかったかは、はっきり知りませんが、おそらく何万円、今ではどのくらいでしょう。そりゃ相当なモンだったと思いますねえ」
 いきさつを知る西田町の藤井一郎さん(八三)。昔、駅舎完成と同時に植えたさくらの古木の下に銅像を建てる話もあったが、実現しなかったという。

 滋吉氏は市原の大地主。大正九年に設立した西脇商業銀行(太陽神戸銀行の前身)の創設者の一人。資産家ではあったが〝大尽〟の性格ではなく、常に人より一歩先を見る人だったという。鉄道に関しても、これからは必要になる交通機関だという強い信念で誘致に奔走した。

「滋吉氏から話を聞いたことがあるんですが、誘致の話も沿線の意見がまとまらず、やむなく資材を投げ出して部分開通に踏み切ったということでした。わずか一駅だけでも、ちゅうちょする市原以北の人たちに誘致機運を盛り上げる〝呼び水〟にしたかったんでしょうね。だから市原で止まったんでは値打ちがない、杉原谷(多可郡加美町)も惜しいことをした、五万円出したら鍛冶屋駅以北も出来ていたのに―とよく言ってました」
構想を真剣に論議、廃止するならムシロ旗でも立てて反対しようという相談までしたという。(~以下略~)
-------------- 引用終わり -------------------------

東大・一橋大・早大生などの俊才を送った市原駅。
銀行、百貨店、料亭やカフェ…駅前には四十を超す商店がひしめいたそうですが、今はその面影もありません。
市原駅誕生より今年で僅か91年。時代の流れの速さを痛感します。

市原駅記念館は無料で見学できます。
来られた際は、少し覗いてみてはいかがでしょうか。

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結合の百合、その後…

8/23のブログに載せた例のユリについて、色んな方から「どうなったの?」との声を頂きました。有難うございました。
8月末には暑さにやられたのか、ぐったりしていたので、花は咲かないかなぁと思っていましたが、9月に入ると、外側のほうから順々に花開きました。




なんというか、「千成瓢箪の馬印に似ているな…」と思った私は大阪人です。

さすがに一気には咲きませんでしたが、それでもこのボリュームは凄いです。



話がかわりますが・・・
北はりま田園空間博物館の総合案内所体験学習室にて、北はりまのサテライトフォトコンテスト作品展(56点)を昨日より行っております。
北はりまの魅力の再発見なるやも?
コヤノ美術館西脇館からも数点応募させて頂きました。
9月20日(木)までの短い期間ではありますが、是非、覗いてみてください。

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見逃されることが多い場所

特に案内はしていないので、見ていかれる方はごくごく僅かなんじゃないかと思う場所があります。

ここです。


この、緑で印をいれている場所。
使用人用のトイレです。

なんだー、トイレなんか見なくていいよー。と、言われる方も多いかもしれません。
どこの寺やら古民家やらを見学に行きましても、封鎖されて見れない場所が殆どですしね。(何故封鎖してるのか、よく知らないのですが…。)

しかし、私は思うのです。
トイレは家の中でも重要な場所ではないかと。
トイレがその家の主の生活観が最も出る場所ではないかと。
トイレを見ずして(以下略)

とまぁ、それはさて置き、この使用人用のトイレ、扉を開けて中をのぞくと…

三田青磁で出来ています。

青磁の便器は大正時代に入った頃から人気を博した様ですが、高価なもの。
それも、国産の青磁です。
それを使用人用トイレに使っているというのが、凄いところだと思います。

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夏の空は青い

お盆が過ぎて、やや暑さは和らいだかな?と、思うものの、まだまだ日差しはきつく、日向に出るとおそろしく暑いですね。

昨日は、バスツアーの団体さんが来られました。
50名近くの方がぞろぞろ入ってくるのを見ると、なんだか活気付いて嬉しい気持ちになりますね。
また、これだけの人数が集合しても、まだ余裕のある土間は、やっぱり広いなぁと思いました。
暑い中、熱心にご見学下さった皆様、本当に有難う御座いました。


撮影場所:裏庭より、昭和に建てられた離れ

夏場は非常に空が青く見え、写真栄えするので撮りがいがあります。

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