忍者ブログ
豪農の館ーコヤノ美術館西脇館ーの写真ブログ。コヤノ美術館HPへはプロフィールのHPアドレス若しくはリンクよりどうぞ。
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
K
HP:
性別:
女性
自己紹介:
コヤノ美術館西脇館~豪農の館~
住所
〒677-0004 兵庫県西脇市市原町139番地(鍛冶屋線
市原駅記念館 隣り)

開館日
毎週土曜・日曜日。午前10時~午後5時(冬季は午後4時まで)

問い合わせ
TEL:(06)6358-4930 
(月曜~土曜 午前9時~午後6時まで)
mail:koyano@koyafron.co.jp
ブログ内検索
最新コメント
[01/04 ブロッサム]
[02/09 白い家具]
[08/01 興味津々丸]
[07/28 意匠創作のふたり]
[07/05 おにかま]
バーコード
カウンター
[27]  [28]  [29]  [30]  [31]  [32]  [33]  [34]  [35]  [36]  [37

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

先月、雪がやや積もった日に撮った写真です。



西脇は比較的暖かく雪の積もらない地域です。
この雪も、昼過ぎには殆ど無くなっていました。

水を含んだきらきらの結晶の集まり。
きれいでした。

拍手[8回]

PR

うばぐるま

今年から展示している大正期の藤乳母車です。
大きいです。
藤の網目がみっちり詰まってます。
真ん中には家紋が入ってます。



そしてこのデザイン・・・
どことなく目の様に見えます。
館長代理曰く、「魔除けの意味であしらったんじゃないか」とか。
「魔除けの目」というと、私はイスラム系のものしか頭に浮かばず日本ではあまりピンと来ないのですが、日本にも一つ目やら百々目鬼、目々蓮など「目」にまつわる妖怪は沢山居ますし、それはやはり「目」に対して特別な意識を持っていたことは確かかな、と。
「見られている」と悪いことは出来ないですしね。
それに、子供は魔に魅入られやすいもの。魔にうばわれちゃぁ一大事です。乳母車に魔除けを仕込む・・・そういう事もありえるかなぁと思います。
もう一点、魔除けかなと思う理由として、上の写真では分かりにくいのですが、「目」として見た時の白目にあたる部分に青のカラータイが藤と一緒に編みこまれているということ。
トルコの目のお守りは青目ですし、(中心から黒・青・白)日本でも「人の手出しの出来ない色」として神秘性を持った色です。
考えが飛躍しすぎているような気は自分でもしますが・・・まさか補強やら修復やらでこんな立派な藤織りに青のカラータイを入れることは無いと思いますし、そうなるとやはり魔除けかなぁと思います。

下のスプリングもすごいです。

しっかりとしたスプリングに支えられた乳母車、きっと居心地が良いのではないでしょうか。

いずれにしても、高級乳母車です。

【追記】カラータイについては、修復案が濃厚のようです。

拍手[8回]

寒い中・・・

寒波、来ましたね。
この土・日、本当に寒かったです。風が冷たい。
コヤノ美術館周辺も、土曜日の晩から雪が降り、日曜には薄っすらと積もっておりました。



しかし、この寒い中でも見学したいと足を運んで下さり、笑顔で帰るお客様の姿を見ると、本当に嬉しい気持ちになります。

そして、この日曜日は、衆議院議員の藤井ひさゆき先生も見学にいらっしゃいました。

撮影:館長代理。藤井先生と館長と。


撮影:館長代理。展示や建物の解説に耳を傾ける藤井先生。

本当にお忙しい中、じっくりと見学されていきました。
そして、「見るものが多くて、驚きました。また、建物も素晴らしく、これだけの物を私費で守っているというのは本当に大変なことだと思います。有難うございます。」とのお言葉を頂きました。
有難うございました。
西脇出身の若手議員ということもあり、頑張って欲しいですね。


コヤノ美術館では、見学に来られた皆様に、より楽しんで頂けるよう、可能な限りご案内させて頂いております。

拍手[8回]

裁縫と抒情画展【終了しました】

今年のメイン展示は、大阪で開催した際大好評だった「裁縫と抒情画展」です。

まずは「裁縫」について・・・
100点近くのアイロン(熨も含む)や、裁縫箱、ミシン、その他細々とした裁縫道具まで展示しております。

館長が言うには、
「古いアイロンをはじめて見た時、その鉄のボディ、モクモクと煙が出る様子に、まるで軍艦だ!と、思った。そしてアイロンを集めていくうちに、様々なデザインがあることを知り、益々虜となったのだ」



軍艦のようなアイロンでピシッと調えられた服を着たら、心も引き締まりそうです。
「こんなのあったな」「懐かしいな」というものから「こんなのあったんだ・・・!」というものまで、様々な裁縫道具を楽しんで頂けたらと思います。

続いて「抒情画展」
「抒情画」というのは思春期の少女たちの憂いや喜び、ロマンなどを描いた絵のことで、蕗谷虹児が名付け親です。抒情画最盛期は大正から昭和30年頃。蕗谷虹児をはじめ、中原淳一や加籘まさを、松本かつぢ等その時代に活躍した抒情画家達の画を展示しております。
有名どころでいくと、竹久夢二ですね。



写真は婦人グラフ(大正15年4月号)の表紙にもなった絵ですが、表情がとても柔らかで、夢二の中でも私のお気に入りの一枚です。

また「大阪の夢二」と呼ばれたものの、戦後忘れ去られたまぼろしの画家、宇崎純一の画もあります。彼は夢二に負けないほど多くポストカードなどを発行していたにもかかわらず、忘れ去られていただけあって、余り残っていないそうです。大阪で展示した際も「まさか純一の画がこんなところで、こんなにも見ることが出来るなんて!」と言って下さった方が多々いらっしゃいました。



その他、中原淳一が創刊した雑誌「それいゆ」や「ジュニアそれいゆ」、「ひまわり」等も併せてお楽しみいただけます。

拍手[10回]

展示品入れ替え

あけましておめでとうございます。
皆様、良いお正月は過ごせましたでしょうか。

コヤノ美術館は現在、展示品入れ替え中です。


展示品を運ぶのに、荷が重いので、車輌は門をくぐり、中へ・・・。

今年の展示は、大阪本館で展示した際、大変人気のあった「裁縫と抒情画展」です。


次々と運び込まれるアイロンやミシン等裁縫道具、そして版画。


展示室となっている衣装蔵は、昨年度とは雰囲気ががらりと変わり、大正浪漫の香りがします。

そして・・・
今年は巳年!と、言うことで、蛇の展示を行います。

ぬいぐるみや土鈴、張子にはじまり、ガラス細工や宝飾品、木彫りに焼き物など、様々なへびをお楽しみ頂けます。

多種多様なデザイン、様々な表情、見ていると本当に面白いし、可愛いです。

今年度は1月19日より開催です。
今年も宜しくお願い致します。

拍手[7回]

今年、それから来年へ・・・

1年、本当にあっと言う間ですね。
先日12月23日をもちまして、今年度の展示「盃台と東海道五十三次」は終了いたしました。


今年は、「人と人との繋がり」をコンセプトに、酒宴や会合、行事など、人と人を繋ぐ様々なシーンで使用されてきた「盃」を支える「台」。それから、各宿場の風景・人の生活を伝えた「東海道五十三次」の展示を行っておりました。
「盃台というものがあったことを知らない」、「はじめて見る」という方も多く、その多様なデザインや味わいを楽しんで頂けていたらなぁ、と、思います。
また東海道五十三次は広重版の版画と明治時代の写真とを並べて展示し、各地の風景、広重の絵の色使いや風景の切り取り方の面白さだけではなく、時代の流れも感じて頂けたのではないでしょうか。

その他、5月からは戦艦大和長官用の茶碗をはじめ、軍用エビスビールや防空頭巾など戦争関連の展示を。
8月からは東京オリンピック時の選手のランニングシャツなどオリンピック展示を行っておりました。


また、今年からは昨年に完成した西脇館の平面図も置き、よりいっそう、この稀な建物に対する理解を深めて頂けるようになったのではないかと思います。

コヤノ美術館西脇館は、明治・大正・昭和の特色ある建物で構成された豪農の家をそのまま利用しております。
この家、おそらく住宅としてはかなり大規模であり、また、長年空き家だったことから、リフォームされていない、ほぼ昔のままの良い状態で保存されています。(一部修復復元)

その他、今年はコスプレイヤーによるプライベート撮影会を7回開催致しました。
撮影会は日曜日の開館時間内に開催しておりました。
寒い時期、暑い時期、雨の日もありましたが、皆様非常に楽しんで撮影されていました。
また、一般のお客様にも「コスプレ」という、最近増えつつありながらも普段目にすることの無い現代日本文化に触れて頂き、楽しんで頂けました。



撮影:館長代理 許可を頂いて掲載しております。
日付は未定ですが、来年もまた、あるかもしれません。

来年の展示は「裁縫と抒情画展」です。
来年は1月19日(土)より開館です。
詳しくは、また後日・・・。
お楽しみに!

拍手[7回]

藤井氏の所得

コヤノの館長は蒐集家です。
その、蒐集品から出てきました。
藤井氏を知る、一片。
兵庫県多可郡役所に出された明治20年~25年の「所得届」

写真:明治22年「所得届金額及人名」表紙。「藤井茂兵衛ら」の字が・・・!

所得税は財政需要が増大する中、新しい財源の確保をすると共に、全ての人に公平に収入に応じた税を負担させるべく、明治20年(1887)に導入されました。
当時の所得税は、資産や営業などの所得金高が年間300円以上ある高額所得者が対象です。


写真:「明治二十三年所得議決高及人名他」。所得参百円から載っています。

納税者は所得の予算金高・種類を所得金高届に記し、居住地の戸長を経て郡区長に届け出ました。

因みに、届は多可郡役所に出されていますが、当時の多可郡は現在の多可町、西脇市、神河町です。
明治22年(1789年)4月1日、町村制施行に伴い、多可郡は津万村・日野村・重春村・比延庄村・黒田庄村・中村・松井庄村・杉原谷村・野間谷村・越知谷村の10村で構成されるようになりました。
コヤノ美術館のある「市原」は、日野村になります。日野村は西田井村、 富田村、 郷瀬村、 小坂村、大木村、 前島村、市原村、 羽山村、 富吉村、 上野中村が統合された村です。
ただ、統合後も「市原村」として記されることも多かったようです。

所得届の中から、藤井さんの名前を探してみると、


写真:右部・・・明治22年「所得届金額及人名」 左部・・・明治21年 「所得税會議決表」

明治20年 「明治二十年高」 
         市原村 藤井茂兵衛 届額:2000円 税額:2300円
明治21年 「所得税會議決表」
         藤井茂兵衛 届額:2030円 税額:2601円
明治22年 「所得届金額及人名」 
         市原村 藤井茂兵衛 2301円
明治23年 「明治二三年所得議決金高及人名他」  
         藤井茂兵衛 2583円
明治24年 「所得税議決他」 
         藤井茂兵衛 2560円 
明治25年 「所得納税議決録」 
         藤井茂兵衛 2126円  

この様にありました。
明治20年以外は全て最高額所得者であり、また、多可郡議員の一人でもありました。

ではこの金額、いったいどれ位のものなのか。

明治20年の高額所得番付1位の岩崎久弥(三菱財閥、弥太郎の子)で、696,596円です。
さすがに1位はケタが違います。
この時の9位は住友財閥の住友吉左衛門、77、351円です。
1位には遠く及ばないものの、やはりケタが違います。財閥は強い・・・。

所得ではないので単純比較はしにくいですが、明治18年~明治21年の総理大臣時の伊藤博文の月報は800円です。年報にすると10,000円位?明治23年・24年の貴族院議長時は年俸5,000円です。
夏目漱石は明治19年に江東義塾の教師として月に5円のアルバイト。明治26年、東京高等師範学校の嘱託教師として年俸450円貰っています。
・・・、ピンと来ないですね。

明治22年 国会議員 年俸800円
明治24年 巡査の初任給 月俸8円(諸手当は含めていない)
明治25年 大工さん(全国平均) 1日27銭(月5.4円程度)
明治25年 日雇い人夫  1日18.4銭(月3.7円程度)
明治25年 機織職(女) 1月1.7円
明治25年 住み込み下男 1月1.55円 (食事つき)
明治25年 住み込み下女 1月0.82円 (食事つき)    

年・月・日が入り混じっており見難くてすみません。
しかし、下の方に来ると、違う意味でケタが違います・・・。
格差が凄くて、金額を図りかねますね。

また、明治25~30年頃の物価は、現在の約3800倍なので、1円は今の3800円位と言えない事も無いのですが、明治25年は、6円あれば家族3人がなんとか1ケ月暮らせる金額らしいので、そうそう単純に計算出来るものでもなさそうです。

しかし、年間所得が国会議員の年俸の3倍近いので、かなりの金額だとは思います。

拍手[7回]



忍者ブログ [PR]

graphics by アンの小箱 * designed by Anne