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豪農の館ーコヤノ美術館西脇館ーの写真ブログ。コヤノ美術館HPへはプロフィールのHPアドレス若しくはリンクよりどうぞ。
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プロフィール
HN:
K
HP:
性別:
女性
自己紹介:
コヤノ美術館西脇館~豪農の館~
住所
〒677-0004 兵庫県西脇市市原町139番地(鍛冶屋線
市原駅記念館 隣り)

開館日
毎週土曜・日曜日。午前10時~午後5時(冬季は午後4時まで)

問い合わせ
TEL:(06)6358-4930 
(月曜~土曜 午前9時~午後6時まで)
mail:koyano@koyafron.co.jp
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お洒落であれ!

 今回の展示『裁縫と抒情画展』では、中原淳一の「それいゆ」などファッション雑誌なども数多く展示しております。
その中から1点、「男子専科」創刊号をご紹介。

 昭和25(1950)年、『スタイル』の臨時増刊号として生まれた『男子専科』。

『スタイル』は昭和11(1936)年に創刊されたファッション誌で、当時にしては非常にモダンで画期的な女性誌でしたが、軍国主義の時代に突入し、軍部の統制により廃刊に追い込まれました。しかし、オシャレは女性にとって生きる糧、生きる楽しみ。戦争が終わり、武装解除した翌年、昭和21年(1946)年に復刊。

女性がオシャレをし始めると、男性はどうなんだ・・・?と、いうことで生まれた雑誌がこの『男子専科』です。

中を見ると、スーツに合わせて靴から帽子まで前身のカラーコーディネートについて書かれています。

他にも、ネクタイやらズボンなどの色・柄・デザインについて図と共にしっかり解説。
スーツ好きの私はパラパラと図を眺めるだけでもニヤニヤがとまりません。

個人的に気になったのは、一流のダンディ、高野三三男、河野鷹思、小野佐世男の座談会録でしょうか。「男のお洒落はどこに苦心したらよいか」について、3人があれこれ話しをしているのですが・・・
小野氏の「パリッとした恰好をしてれば、気持だってシャンとするんだよ・・・。」には、そうだそうだと相槌を打ち、
河野氏の「お洒落をする根本といふのは、一つは勇氣だと言へますね。」には、うん、まぁ、そうかなぁと色々思い起こして考え、
高野氏の「お洒落といふのは、生まれ落ちるときからすぐやらなければ・・・。」には、今からじゃ手遅れですかと苦笑い(笑)


そして裏表紙には代表的なカラーコーディネートが。出る前に自分の服装と照らし合わせておかしくないかチェックしろとのこと。


残念ながら展示品については保存のために中を見て頂く事は出来ませんが、現在『男子専科』の復刊プロジェクトがあるだとか。「懐古主義ではなく、温故知新。古き良きモノを再認識することで新たなおしゃれに目覚めて…」とのこと。


この言葉には頷くばかりです。
服装に限らず、古きがあってこその「新しい」であって、昔を知らずに前進し続けることは難しく、先人の知や美に触れる時というのも、大切だと思います。

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タンポポポ

どんなに厳しい環境下でも
黄色い顔は上を向き
地面いっぱいに手を広げ


撮影場所:美術館前の河原

「黄色」というのは有彩色の色の中でも1番明るい色。
楽しい気分にさせてくれる、人に喜びを与える色。

そして「タンポポ」の語源。
諸説あるが、通説では昔、タンポポの茎を鼓の様な形に反り返らせる子供の遊びがあり、江戸時代には「ツヅミグサ(鼓草)」と言ったことから、鼓を叩く「タン」「ポポ」という擬音語が語源と言われている。

タン タン ポポポ、 タン ポポポ、タン ポポ タン ポポ

春に咲く上を向いた黄色い花に、リズミカルな名前。

なんて楽しい花。

拍手[7回]

また、明日。

お日さんさようなら、また明日。



日が何度沈んでも
幾たび闇が覆っても
明日になれば、また日は昇る
なんという
なんという安心感だろうか!


【撮影場所】横庭

拍手[7回]

外灯

門を潜ってすぐ左。

米蔵の入口を照らす外灯。


金具の唐草?葉と蔦のデザインがとても御洒落です。

笠の部分は割れたのか、なんなのか、無いです。
どんな笠が付いていたんだろう。
チューリップ型?雫型?個人的には丸球型が好みです。

それからもういっちょ。
大正時代洋館の裏側に回りまして~

お風呂の焚口付近を照らす外灯。


蔵の方とはまた趣がちがって。
乳白色のガラスシェード(敢て笠とは言わず)が素敵です。

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JR加古川線開業100周年

 兵庫県加古川市と丹波市を結ぶJR加古川線が開業100周年を迎えました。おめでとうございます。
4月7日には加古川駅にて記念の出発式があったそうです。
 
JR加古川線は1913(大正2)年4月1日、播州鉄道として加古川水系の舟運の代替として設立され、加古川町‐国包(現・加古川‐厄神)駅間が開業、23年に播但鉄道に路線を譲り、24年には谷川駅(丹波市)までの48・5キロが全通し、第2次大戦中の43年に戦時買収され国有化、加古川線となりました。

 そして、コヤノ美術館西脇館も播州鉄道に纏わる場所の一つとして、4月12日神戸新聞朝刊の地域ニュース(北播)にて取り上げられました。


----------(以下引用)-------------------------------------------------------
 1913(大正2)年8月に加古川町―西脇が開通した加古川線の前身、播州鉄道は15年に北条支線、17年に三木支線と、北播磨の主要地域に支線を延ばした。
 西脇市北部では21(同10)年、藤井滋吉(1886~1949年)が、私財を投じて西脇駅(現在の西脇市駅とは別)から同市市原町の自宅前まで約3㌔の鉄路を引き、市原駅舎(現市原駅記念館)を構えた。2年後、線路は多可町中区鍛冶屋の鍛冶屋駅へと延び、鍛冶屋線として開通。奥播州の発展につながった。

 藤井は西脇屈指の大地主。市原駅近くの大邸宅には明治期の木造2階建て本館、大正期の休憩棟、昭和期の客棟が並ぶ。秋には年貢米の俵が蔵に積みあがった。かつて米俵を見上げ、戦後、播州織商社を興した元社長、内橋謙一さん(94)=市原町=は藤井を「恰幅の良い名士で、雲の上の存在だった」と振り返る。

 藤井は西脇商業銀行創設者の一人で、播州鉄道の株主だった。七三に分けた髪に口髭を蓄え、出掛けるときは懐中時計をスーツに忍ばせた。「ハイカラで、欧米の音楽をかけて踊ったりしていた」と孫の照也さん(76)は振り返る。英語が堪能で、時代の一歩先を見通す人物だったという。

 元滝野歴史民族資料館長の故岡本勲さんは、西脇以北への延伸計画が滞った際、藤井が「市原駅舎は私が寄付する」と提案し、線路を引いたと記した。孫の敬三さん(72)の手元には、藤井が鉄道会社へ多額の寄付をしたことを示す証文が残されている。

 内橋さんは市原駅周辺の当時のにぎわいを覚えている。商店が並び、人力車やタクシーなどがせわしなく行き来した。鍛冶屋線も播州織の振興を促した。原糸を貨車で運び、駅周辺の機屋が織り上げる。生地は加古川線の汽車で運ばれ、神戸港から海外へ輸出された。
 内橋さんは「輸送は汽車頼み。鍛冶屋線が通っていなければ、西脇市北部や多可町中区の発展は遅れたのでは」と指摘する。~(以下略)~ (伊藤大介)
------------(引用終わり)----------------------------------------------------

前身であるである播州鉄道の大株主であり、戦争などで工事中断をしていた中、西脇―市原間を私財をなげうって敷いた藤井滋吉氏。
彼の家を修復し、コヤノ所有の美術品と共に公開しているコヤノ美術館西脇館。
残念ながら藤井氏の史料はこちらには残っていないのですが、この家から藤井氏暮らしぶり等を感じ取れるのではないでしょうか。

写真:館内より、チラリと見える車輌(キハ30)
藤井氏も自宅から電車の走る様を眺めたのだろうか。

播州鉄道の路線図や、播州織りの海外輸出品にのみ使用された商標なども展示しております。

藤井氏と鍛冶屋線市原駅については、以前の記事「藤井氏の痕跡ー鍛冶屋線市原駅」 でも紹介しております。

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ムスカリ

庭にポッと咲いたムスカリ。
際立つ青紫。
地中海原産の色。



日本では30年ほど前から市場に出、近年人気のある、愛らしい花です。
しかし、さりげないのに鮮烈に主張するその色は、日本庭園にあると、異分子な感じがします。

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春の喜び

暑かったり寒かったりで着るものに困る今日このごろ。
それでも着実に暖かくなり、春の花々が咲き始めました。


撮影場所:外庭

若草色の合間に見える黄色・桃色・青色・白色
様々な色が春を演出し、見るだけで楽しい・嬉しい気持ちになります。

春の陽気は人を陽気にさせますよね。

拍手[6回]



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